日本と日本人の存在感 /小杉 俊哉

2010年4月 4日

一体日本という国はどうしてこうも存在感がなくなってしまったのだろうか。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」、「ルック・イースト」と羨望の眼差しで見られた時代は遙か昔。その後「日本株式会社」、「エコノミックアニマル」と不気味がられ、「ジャパン・バッシング」をされていた時代も、バブルの時代も今の学生は知らない。学生達の頭には、「ジャパン・パッシング」そして、「ジャパン・ナッシング」の現在の日本しかなく、とても国際社会で互してやれるというイメージを持てない。

 

それを象徴する端的な例が、米ビジネス・スクールのクラスに占める日本人の割合の低下だ。筆者が留学していた1989-1991というまさにバブルのピークで、企業派遣が一般であり、また企業の寄付も多額であり、どのビジネス・スクールも数十人単位で日本人を受け入れていた。多い学校は、一学年に日本人が60人を超えるところもあった。

 

ところが、現在どのスクールも、日本人は数名にしか過ぎない。企業派遣、寄付を止めた企業が多いことももちろん一因ではある。しかし、スクール側が日本から、日本人から学ぶことがなくなったというのが、受け入れ側の本音だ。変わって台頭しているのが、中国、インドからの留学生である。それは、まさに国力を反映している。


一方、日本に旅行で来る外国人の日本への評価は極めて高い。魅力的な家電・精密製品、センス・縫製のよいファッション。そして、アキバに代表される、アニメやフィギュア、コスプレ、ソング・ダンスは、まさにアジア人若者にとって聖地である。アジア各国に行くと、若者が集団でコスプレをし日本の歌で踊りまくる光景がよく見られる。また、西欧人は、神社仏閣、伝統芸能などへの憧れは変わらず強く、みな京都に行っては感激している。鮨、炉端焼き、天ぷらなど食のファンももちろん多い。


ミュージシャンやプロスポーツ選手も、最初は日本などへは来たくなくても、来日した殆どの人が大ファンになり帰っていく。清潔、便利、安全で、人は親切・丁寧・やさしい。そして、その勤勉さに驚嘆する。電車が分単位で正確に運行されるような国は他には見あたらない。酷暑でも満員電車に詰め込まれてへとへとになっても、文句も言わずちゃんと働く。

 

さて、私の言いたいことは、日本は正しく広報活動をしていない、それがもったいないということだ。政治家もそうだし、企業のトップもしかり。そして、我々一人ひとりが、自らをきちんと表現するアサーションをしていく必要がある。日本人の良さは、その奥ゆかしさなのだが、それを伝えるためにはアサーションしなければならない、その難しいことに早急に取り組むことが日本人一人ひとりに求められているのだと痛感している。

(小杉 俊哉)